親愛なるKに捧ぐ
わしは昔から、決めごとを、決めた端から破ってきた男である。
小学校の夏休み、画用紙に大きな円を描いて、朝は六時に起き、ラジオ体操へ行き、午前のうちに宿題を片づけ、昼寝をして、三時から遊ぶ、という計画表を作ったことがある。赤と青で塗り分けて、母に見せて、ようできておると感心された。三日でくずれた。くずれたのであるが、わしはその紙を破り捨てはせんかった。かわりに、円のすみに小さく「計画を見直す日」という項目を書き足したのである。見直す日は週に一度のはずであったが、やがて二日に一度になり、八月の半ばには毎日が見直す日になっておった。
駄菓子屋の金もそうである。一日十円と決められておった。決められておったのに、わしは「明日の十円を今日もらう」という制度を自分で発明した。前借りである。前借りというものはようできておって、一度やると次の日も前借りせんことには生きていけん。八月の終わりごろには、わしは十月の半ばまで食いつぶしておった。
漢字ドリルも一日一ページと決めた。これも守れんかった。守れんかったが、わしは「一日一ページを七日やるのと、七日目に七ページやるのとでは、合計が同じである」という、たいへん筋の通った理屈を考えついた。筋は通っておったが、七日目にはもう三十ページ溜まっておった。合計は、同じではなかった。
そういう何十年である。決めては曲げ、曲げては言い訳をこしらえ、言い訳のほうを本式の決めごとに格上げしてきた。わしという男の中身は、だいたいそれで出来ておる。
ところがである。
土曜の東京八レース。ダート千六百。一勝クラス。十四時発走。
わしが信用する秘伝の指数は、十五番のファンタイムギフトを一番に置いた。横に出た数値が 10 である。
わしは 20 を超えたら勝負と決めてある。決めたのは機械であって、わしではない。わしは券売機の前に立つ係である。
10 は、20 の半分である。半分では勝負にならん。
ならんのであるが、、、、一番に置かれておるのはこの馬なのである。機械が一番だと言うておるものを、数値が足りんというだけで見送るのは、はたして正しいことなのか。だいたいわしは、幼少のみぎりより決めごとを曲げて生きてきた男ではないか。夏休みの計画表を曲げ、駄菓子屋の十円を曲げ、漢字ドリルを曲げてきたわしが、ここで曲げんでどうする。曲げるために今日まで生きてきたようなものではないか。
そう思いながら、手が止まった。
せん馬の四歳。馬体重はマイナス十二キロと出ておった。四番人気。
わしは、押さんかった。
レースは、五番手あたりの、ええ位置であった。四角を六番手で回って、直線でまっすぐ伸びた。
一着。
二着は十二番スターエンブレム。わしが△を打った馬である。三着は五番エドワードバローズ。〇である。
一着が◎、二着が△、三着が〇。わしが紙に書いた五頭のうちの三頭で、きれいに決まっておった。
ここから先は妄想である。
単勝は千四百四十円であった。百円が千四百四十円になる。わしの飲む生ビールは一本二百三十円であるから、六本である。六本は、わしの三日ぶんである。
複勝でも七百五十円であった。三本。ワイドの 5-15 が二千二十円で、八本。
馬連は 12-15 で八千七百円。わしの馬連は 5-15 であるから、これは外れておる。外れてはおるが、十二番は△のところにちゃんと書いてあったのである。書いてあって、買わなかった。三十七本である。
三連複。5-12-15。三万六千五百四十円。
生ビールに直すと百五十八本。ボンカレーに直すと百八十二食。わしのボンカレーは水で二倍に増量して食うのであるから、三百六十四食になる。一年ぶんである。一年、カレーが切れん。
そして三連単である。15-12-5。
な、な、な、二十一万九千四百二十円である。
生ビールで九百五十四本。一日二本として、四百七十七日。ボンカレーで千九十七食、水で二倍にして二千百九十四食。六年ぶんである。
六年。わしはこれから六年、カレーの心配をせんでよかったのである。その六年を、券売機の前で押さんかった。
押さんかった理由は、数値が 10 だったからである。それだけである。
だけんどもしかし、
よう考えてみれば、わしは外してはおらんのである。外しておらんどころか、◎に置いた馬が一着に来ておる。来ておるのだから、わしの指数は当たったのである。当てたのはわしではない。わしではないが、あの指数はわしが信用して使うておるものであって、つまりはわしのものである。わしのものが当てたのであるから、まわりまわって、わしが当てたということになりはせんか。
なりはせん。
なりはせんのであるが、この理屈は、七日目に七ページやれば合計は同じであるという、あのころの理屈と、よう似た顔をしておる。似た顔をしておるものは、だいたい間違っておる。間違ってはおるが、よう出来てもおる。
それにである。わしの金は増えておらん。増えてはおらんが、減ってもおらん。買うておれば当たっておったのであるから、損もしておらん。損をしておらんということは、当たったぶんだけ、ふところは厚くなっておるのと同じ勘定ではないか。同じ勘定である。そう決めた。決めるのはわしである。
今日のわしは、勝っておる。
勝っておるのなら、一本では足りんのである。
・・・・
ルールを破って、勝った気で、二杯目のコキコキに冷えた生ビールを一口すすったら、やはり、いつもより少し苦い味がしたわしであった。
アナライジングホース 第5章 人気馬はなぜ買われるのか?
予想家AIの研究ノート 第1回 予想における調教の重要性